里山学覚書

森林科の学生の自学メモ

大学で何をするべきか〜学生生活前半を振り返って〜

意外とみんな孤独

最近よく考えるのが、「大学で何をすべきか」ということだ。

早いもので私の大学生活ももうすぐ半分終わってしまうという。友達も、夜私の部屋に来てはダラダラと時の流れ(と彼女がいないこと)を嘆いている。

 

これまでの学生生活、まあ何もなかったわけではないが、一年生の時に手に入れたものは今ではみんな失ってしまった。

入学してすぐに、田舎育ちの純粋無垢な女の子と両思いになったのも束の間、付き合う頃には熱は冷めてしまって3ヶ月程で別れたし、先輩から7万でもらった車も今では事故で廃車にしてしまったし、慣れないものに手を出しては失敗を重ねた、反省の尽きない年月であった(文字にしてみるとなかなかに酷い)。

 

 

けれども、幸にして信頼できる友達や、勉強への熱意を失うことはなかった。万が一、この二つを失ったらもはや大学にいる意味はないのだろうな。

 

 

こうして過ごしてきた二年間の経験を通して、気づいたことがいくつかあった。

 

まず、自分は他人への興味が薄いということ。彼女が欲しくなかったわけではないが、恋愛とお付き合いという経験自体への興味が強かったのだと、今振り返って思う。

 

そして、人はみんな孤独だということ。私も友達は多くなく、少し寂しい時はあるが、かといって友達とダラダラと何時間も過ごしたいとは思わない。自分の時間も欲しいし。一方、私の友達にはわざわざ誰かとスーパーに行ったり、用もないのに長時間部屋に来たり、飲み会の二次会以降も行かないと気が済まなかったりするやつもいる。休日何しているのか聞いても、ゲームとか、YouTubeとか、寝てるとかいうやつも多いことを考えると、煌びやかなインスタが流行っている割にはみんな暇してて、一人でやる趣味もなく孤独に生きているのだなと感じる。

 

一年生の間は憧れの学生生活で、学科内だけでなくサークルやバイトなど、様々な出会いに興奮しているが、2年生も後半になるとどうでもいい繋がりは段々と切れていき、一部はバイトに入りまくったり彼女ができたりするやつもいて、徐々にバラバラ感が増していくのである。

そんな中で大事になってくるのが、「孤独な時間の使い方」ではないだろうか。

 

孤独な時間の使い方

ここ2ヶ月半程度、私の生活には大きな変化があった。

毎日のように図書館に行って読書や調べ物をする様になったのだ。

 

それまでの私といえばそもそも部活に使っていた時間が多かったし、暇な時は部屋にいてパソコンいじったりして、夜は遅くまで友達と飲み会をしていることも多かった。1限がない日が多かったので朝寝坊できたのである。この生活も悪くはなく初めてのことも多くて結構楽しめた。

 

それが、後期が始まってみると、なんと全部の曜日が1限から始まっているではないか。学科の友達も同じなので、これによって夜遅くまで飲み会をしていられなくなった。これが意外と生活には良い影響を与えた。それまでの私は酷いもので全部の講義の半分くらいは寝ていたものである。完全に寝不足だったけど、寝ていても成績は取れた。寝坊することも多かった。

しかし、今では寝ているのは講義の5分の1くらいになったし、講義の内容もよく頭に入る様になった気がする。部活に行く頻度も下がったことから自由な時間が増えた。

 

もう一つ大きな影響を受けたのはプログラミング(Python)の講義をとったことであろう。この講義は主に工学部の一年生が選択でとるもので、農学部の2年生が取ることはあまり想定されてなかった。

講義が始まると間も無く、周りのほとんどが多少なりともプログラミングをやったことがあるとわかり、コンピュータ言語なんてhtmlぐらいしかわからない私がやっていいものかと不安になった。そこで、その日から毎週その講義の後は図書館にこもって閉館時刻(9時)までPythonの勉強をすることに決めて、それを実行した。

 

Pythonの基本を抑えるのに、大して日数はかからなかった。

放課後暇な時は講義の日以外も、教科書片手にコマンドラインと睨めっこしてPythonを打ちこみ、文法が大体わかったところで、VS codeを導入してサンプルコードを何個も作った。

そのうちGUI(いわゆるアプリっぽい見た目のプログラム)や、SQL(データベースを扱う言語)にも手を出し、以前から興味のあった標本管理用データベースアプリも作れる程度の力がついてきた。絶対に教授の想定以上の成長だ。

講義では、初心者コースに分類された割には、実践的なことは何も教わらなかったので、あの時自学を始めて本当に良かったと思う。

 

こうして、Pythonの勉強で図書館の居心地の良さに気づいてしまった私は、しょっちゅう図書館に入り浸るようになり、一人で勉強するのも楽しいものだと思うようになってきた。そんな中で私はいくつかの本にであい、大きな影響を受けた。

 

ある日の夕方、近くのブックオフに行ってみた。理工書から始めて興味のある棚を回っていたら、新書コーナーで面白い本を見つけた。

齋藤孝さんの『語彙力こそが教養である』(角川新書)。自己啓発ちっくな本は、内容のうすっぺたい本が多いので好きではなかったが、以前、斎藤孝さんが本を紹介している本を読んだら面白かった記憶から、この本を手に取った。

本の概要は以下のような感じである。人間の思考できる範囲は語彙によって制限がかかっていて、語彙を増やすことで世界の見方を広げられる。そのためには語彙のインプット及びアウトプットの積極的な練習が必要である。

つまり、教養を身につけることが語彙力を上げることを意味し、逆もまた然りということだろう。

 

もう一冊、印象的な本があった。

中谷彰彦さんの「大学時代しなければいけない50のこと」(PHP文庫)だ。著者はこう指摘する。大学時代にチャンスを掴んだ人は「一人の人と出会い、一冊の本と出会っていた」。

誠に単純ながら、この二人の言葉に私は感銘を受け、それ以降よく本を買って読む様になった。図書館の居心地の良さと、本の面白さに気づいてしまった私は、知的興奮を求めることが大きな楽しみとなった。そして、今はそのアウトプットとしてこのブログを書いている。この勢いがどれだけ続くかはわからないものの、暇してるよりよっぽど面白くて身になるので、後悔はないと思う。

 

以上の様なことから、私の考える大学でするべきことは、「孤独になって好きなことを勉強する」ということだ。もちろん知識をつけることが好きじゃないんなら勉強なんてしなくていいと思うし時間の無駄だと思うから、これはあくまで自分の場合だろう。

ただ、何もせずダラダラ過ごして後悔することはあっても、好きなことを勉強して後悔することはないと思うし、勉強に時間を使えるのは大枚を叩いて大学に入ったおかげだろう。

楽しいこともうんとやった方がいい。足りないものに気づいたら、勉強を始めればいい。そして、何より勉強は楽しいのでした方がお得だと思う。金もかからんし。

 

どうだろう?