微小昆虫の標本を作るにあたって
博物館で展示されている、箱の中に整然と並べられた標本。
カブトムシやクワガタなどの人気な虫が人々の目を集める一方で、僕の目が一番引かれてしまうのは、他でもなくゴミムシの標本です(笑)。
ゴミムシ好きの人の中には、こうした標本に憧れて独学で標本作りを始める人も多いと思いますが、ネットを調べてもゴミムシのような小さな昆虫の標本の作り方を解説したサイトはなかなか見つからないことに気づきます。
そこで、このページではゴミムシを初めとする小型昆虫の標本について、道具や材料から、具体的な標本の作り方、ラベルの作り方までを網羅した解説を僕なりにまとめてみました。
初めての方も、今まで我流でやっていた方も、ぜひこの記事を読んでお好きな昆虫の標本作りに挑戦してみてください。
なお、多分に僕の意見を含むと思うので柔軟に読み解いていただけると幸いです(笑)。
標本を作成する意義
標本を作るということは、生き物の死骸に学術的な価値を持たせる行為です。また、その時、その場所にその生物がいたという確かな証拠となり得るのは、標本しかありません。
標本は、新種の記載、分類学的研究、生物地理学的な研究や、環境の調査など様々なことに利用することのできる重要な一次資料です。
理想的な標本は、詳しいデータ付きの保存性の高い標本で、研究に使いやすいようなるべく博物館など公共の場所に置かれることが望ましいです。
標本情報はWebSpecimanagerなどのサービスを利用してデータベース化しておき、可能であれば個人収蔵.comまたは、環境省の生き物ログで公開すると良いと思います。
標本作成の準備
使う道具・材料
- 殺虫:殺虫剤(酢酸エチル・エタノール等)・毒瓶
- 展足:双眼実体顕微鏡脱脂綿・半紙(A4コピー用紙でも可)・ピンセット・昆虫針、脱脂綿( スズラン株式会社製のものが良い*1)
- ラベル作成:パソコン(Word)・プリンター・ケント紙(ハガキも可)
- マウント:昆虫針・平均台・ボンド(ニカワでも可)・パソコン・プンター
- 保存:標本箱(タッパ&スチレンボードでも可)・衣服用防虫剤・乾燥剤
基本的にホームセンターやドラッグストア、アマゾンで手に入るものばかりですが、平均台や標本箱などは昆虫採集用品専門店で購入するといいと思います。代表的なのは下に紹介する3社です。
顕微鏡の選び方
1cm程度の比較的ちいさな昆虫の研究に必須のツールが、双眼実体顕微鏡です。
双眼実体顕微鏡は、低倍率で立体的に物体を見るための顕微鏡で、肉眼だと細部が確認できないような大きさの昆虫の標本を作る際や、ゴミムシを同定する際に必要となってきます。
双眼実体顕微鏡や、照明の選び方、視度調節についてはこちら↓
ピンセット
標本作成においてピンセットは超重要です!
実のところ、私は全然知らないので、詳しいことはピンセットが好きな方の情報をご覧ください(笑)。
標本を作る
準備が終わったところで、いよいよ標本作成の具体的な方法について紹介していきます。
ゴミムシをはじめとする甲虫類やカメムシ類、ハチ類といった硬い外骨格を持つ昆虫の標本は、乾燥させて作ることができます。
学術用で鑑賞が目的ではないのなら、そんなに整形にこだわらなくて大丈夫です。たくさん捕れた時には数個体だけ綺麗に作って、あとの個体の展足は適当でいいと思います。調査で大量に捕る場合は、各種数個体ずつだけ参照標本として針刺し標本にして、残りはタトウで保存するのもありです。
ゴミムシのような小型甲虫の標本の作り方は、 丸山 (2014) 小型甲虫の台紙貼り標本とラベルの基本的な作り方と注意点 、 長島 聖大 (2016) 小型昆虫の三角台紙貼り標本の作製手順 で細かく解説されています。
以下に簡単に手順をまとめておきます。
- 酢酸エチルなどで殺した昆虫をトレーなどに出し、足や顎を広げたり必要に応じて生殖器を出したりする。
- カードより少し大きいくらいの大きさに切った脱脂綿の上に昆虫を置いて展足する(形を整える)。
- A4の紙や半紙を縦横3つに折り、その紙の中に先程の脱脂綿を挟んで包む(この包みのことを「タトウ」という)。
-
紙の表面に日付、場所(+経緯度)、採集者、(種名•個体数)をメモし、乾燥剤と一緒に保管する。(地名などは国土地理院の 地理院地図(電子国土Web)で調べる)
- 2週間ほどして乾燥したら、大きな(幅5mm〜)昆虫は直接上翅右側の中脚と後脚の間くらいの位置に昆虫針(2号位)を刺す。幅5mm以下の小さな昆虫は台紙にボンドがニカワを使って貼りつける。三角台紙では長さ11mmくらいの三角形の厚紙(台紙)の先端に、虫体が左側になるようにくっつけて台紙に昆虫針(2,3号)を刺す。四角台紙では12×6mm位の台紙に虫体を貼り付け後ろ端に針を刺す。台紙は色々な大きさのものが売られているし、自分で作ってもいい。高さは平均台の一番上の段の穴を使って揃える。
- 昆虫(台紙)が刺さっているのと同じ針に、ラベル(後述)を刺して完成。脚が取れたりしたら、ボンドなどでくっ付けるか、台紙に貼り付けておく。平均台で高さを揃えたら完成!
ラベルの作成
ラベルとは、いつどこで誰がその生物を採集したかを示す紙のことです。したがって、ラベルのない標本はただの死骸も同然です(観賞用にはこれでもいい)。
研究のための標本の価値は形の良さよりも、そのラベルの良し悪しで決まるといっても良いでしょう。大きさはなるべく小さく省スペースにするのが好まれます。
ここではWordを使ったデータラベルと同定ラベルの作り方を解説します。
同定ラベル(種名ラベル)よりデータラベルの方が重要です。これらに加えて、コレクションラベルという、コレクションの名前と標本IDを示すラベルをつけることもあります。新種を記載するときに基準となった標本(タイプ標本)には色のついたタイプラベルをつけますが、ここでは解説しません。
タイプラベルも含めて、ラベルの書き方は、柿添・丸山「昆虫標本におけるラベルの作り方」に詳しく解説されています。
ここでは、ワードの表作成機能を使ったデータラベル・同定ラベルの作成方法を解説します。他にもワードにそのまま打ち込む方法やエクセルを使う方法があります。ワードに直接打ち込む方法については、長島聖大(2016)「小型昆虫の三角台紙貼り標本の作製手順」で解説されています。
Wordの設定
ワードの設定方法の詳細は、長島聖大(2016)「小型昆虫の三角台紙貼り標本の作製手順」で解説されています。
フォントは、I(アイ)l(エル)1や0(ゼロ)O(オー)が判別しやすいものが良いです。よく、明朝体の方がいいと言われますが、4pt前後の大きさの明朝体の文字はとても細くなるため、プリンターの精度によっては掠れて見づらくなることがあります。
柿添・丸山(2021)「昆虫標本におけるラベルの作り方」では、下の表のフォントが推薦されています。ラベルを小さくして標本をコンパクトにするため、フォントサイズは4pt前後に設定します。
文字の種類 | フォント名 |
---|---|
英数字 | PT Sans Narrow, Roboto Slab, Aleo, Noto Sans,Fira Sans Extra Condensed,Seravek(Mac のみ) |
日本語 | ヒラギノ角ゴシック(Mac のみ),游ゴシック |
ラベルの作り方は、絶対これ、と決まったものがあるわけではないので、読みやすさを考えながら臨機応変に変えてもらって大丈夫です。コンビニ印刷を利用する場合は、最初にハガキサイズに変更してください。
- 「ホーム」>「スタイルウィンドウ」>「標準」の「スタイルの変更」から書式を設定する画面を開く。
- 「書式設定」でフォントサイズを4 ptに変更する。
- 左下の選択肢から「フォント」の設定を開く。フォントは、日本語はヒラギノ角ゴシック、英数字はPT sansがおすすめ。
- 先ほどの選択肢から「段落」の設定を開く。行間は「固定値」にして、4 ptに設定する。
- 書式の設定を完了後、「ホーム」と同じ列に並んでいる「レイアウト」>「余白」から、余白を出来るだけ小さくする。
データラベル
データラベルは、その標本の個体が「いつ」「どこで」「誰に」採集されたのかを示す、学術標本において一番重要なパーツです。書き方にはさまざまな方法があり、ここにあげるのは飽くまでその一例です。
地名は「国→都道府県→市町村」の順にしましたが、「国→市町村→都道府県」のように逆に書く場合もあります。いずれにしても国名は先頭に書くのがいいようです。
飼育下で羽化したものを標本にした場合などの表記の仕方は、執虫さんの 「昆虫標本ラベルの作成と表記の方法について」 の後半に解説されています。他には、捕った方法(トラップなど)、調査許可番号などを併記することがあります。
ローマ字表記の詳しいルールは、東京大学教養学部英語部会/教養教育開発機構の 日本語のローマ字表記の推奨形式 に詳しく載っているので読んでみてください。「ō」などの長音を表すマクロンのついた文字は Unicode キャラクター図鑑 からコピーして使いましょう。Macだと母音のキーを長押しするとマクロン付きの文字の候補が出るので便利です。
下に色々なラベルの例を載せましたが、このようにラベルの書き方は人それぞれなので、国名だけ太字にしたり情報量を増したりするなど、各自工夫をして作ってみてください。
- 適当な大きさの表を挿入する。
- データを書き込んでいく。
- 場所・・・都道府県、市町村などは英語ではなく、◯◯-ken、◯◯-shiのようにローマ字で書く。英語のprefectureやcityとはニュアンスが少し違うらしい。地名と経緯度情報、地名の読み方は、国土地理院の 地理院地図(電子国土Web)で調べる。経緯度は、度以下を10進法表示で小数点以下4桁くらい書く。(alt. 20 m)のように標高を書いても良い。日本語と英語両方書くと良い。意味の切れ目にはコンマ「,」を打つ。
- 日付・・・日月年の順に書く。月だけローマ数字(I,II,III,IV,V,…)で書く。印刷して見にくくなることがあるため、「Ⅲ」などの特殊文字は使わず、例えば「VI」なら普通に「V」「I」と打つ。
- 採集者・・・苗字は全て大文字にする。leg.(「捕った」の意味)をつけても良い。
- コピーして必要な分だけ増やす。
- 厚めのケント紙やハガキに印刷し(水でにじまない顔料インクのインクジェットかレーザープリンターがいい)、切り出して標本の刺さっているのと同じ針に刺す。文字に刺さないようにする。
例:
JAPAN: Kanagawa-ken,
Miura-shi, Misaki-chô, Jôgashima Is.
35.1298°N, 139.6283°E, (alt. 16.9 m),
4 III 2021, T. YAMADA, (leaf litter)
神奈川県三浦市三崎町 城ヶ島
JAPAN: Kumamoto-ken,
Miura-shi, Misaki-chô,
Jôgashima Is. [城ヶ島],
(alt. 16.9 m), 35.1298°N, 139.6283°E,
4 III 2021, T. YAMADA, (leaf litter)
神奈川県三浦市三崎町 城ヶ島
[JAPAN] Kanagawa-Pref.,
Miura-shi, Misaki-chô, Jôgashima Is.
(alt. 16.9 m), 35.1298°N, 139.6283°E,
2–4 III 2021, Tato YAMADA
[JAPAN: Kanagawa-ken],
Miura-shi, Misaki-chô, Jôgashima Is.
04 Feb. 2021, Tato YAMADA leg.,
三浦市三崎町 城ヶ島
同定ラベル
同定ラベルには、学名と和名と同定者、同定年を記載します。作り方はデータラベルと同じです。
学名・和名は、図鑑から写すか、「日本列島の甲虫全種目録 (2021年)」からコピペするといいでしょう。後者のサイトは頻繁に更新されるため最新の学名が載っていて、多くの専門家の目にさらされているので信憑性も高いと思います。
同定者名と同定年だけ書いたものをたくさん作っておいて、種名を手書きする方法もあります。同定された標本を見分けやすいように、同定ラベルはクリーム色の紙を使ったり、枠で囲ったりすることもあるようです。同定ラベルも標本の刺さっているのと同じ針に刺しましょう。
例:
Pterostichus (Rhagadus)
microcephalus (Motschulsky, 1860)
コガシラナガゴミムシ
Tarô YAMADA det., 2021
Pterostichus (Rhagadus)
microcephalus (Motschulsky, 1860)
コガシラナガゴミムシ
Tarô YAMADA det., 2021
Tarô YAMADA det., 2021
標本の保管
保管場所
標本は、適切に保管されれば100年以上経過しても問題なく研究に使うことができます。
保管する場所は直射日光の当たらない、湿気の少ないところが望ましいです。標本箱の隅には衣料用の防虫剤(と乾燥剤)を昆虫針で固定しておきます。湿気のひどいところでは特にカビやすいので、標本箱をタンスなどに大型の乾燥剤と一緒にして入れておくといいと思います。エアコンや除湿機を用いた湿度の管理も重要です。
(ちなみに、僕の住んでいる地域では、非常に湿度が高く、エアコンで除湿しても70%をなかなか下回りません。標本保管に適した湿度は60%以下と言うのを聞いたことがあるので、乾燥剤を利用して除湿をしています。それでも、カビの生えやすい環境であることには変わりないので、もしもっといい方法を知っている方がいましたらご教授ください。)
ラベルの情報がしっかりしている標本なら、博物館などに寄贈することも可能です。*2
博物館に寄贈すれば、自分の作った標本が研究に使われるかも知れないですし、長期間保存することができます。こうすることで標本の価値が最大限発揮でき研究にも貢献することができるため、昆虫研究の発展を願う身からすると最終的には博物館に寄贈することが望ましいと思います。
標本箱
昆虫標本の保管には標本箱(ドイツ箱やシーラ箱)が適していますが、中箱でも値段が1箱約7000円とお財布に優しくないので、底に発泡スチロールを貼ったタッパーウェアでも大丈夫です。いろいろな種類の標本箱がありますが、保存性ではドイツ箱が一番で、長期保存の際にはおすすめです。そして何よりドイツ箱は重厚でかっこいいです(笑)。
標本箱の隅には衣服用防虫剤(高湿度ならプラス乾燥剤)を針で留めておきましょう。
カビがついたり、光で劣化したりするのをふぐため、標本箱は温湿度の低い冷暗所に保管するのが好ましいです。
標本箱はバードウイング社のものが有名です。むし社などでも購入できます。
ユニットボックスを自作して、ミニ標本箱みたいにするのもアリです。
標本情報の管理
作成した標本はデータベースで管理するのが良いと思います。
私はWebSpecimanagerという無料のサービスを使っています。おすすめです。
参考文献
- 日本列島の甲虫全種目録 (2021年)
- 柿添・丸山 (2021)昆虫標本におけるラベルの作り方. 九州大学総合研究博物館研究報告, No.18, pp.65-73.
- 丸山 (2014) 小型甲虫の台紙貼り標本とラベルの基本的な作り方と注意点. 九州大学総合研究博物館研究報告, No.12, pp.21-32.
- 山岸健三 (2006) 昆虫採集と標本整理.
- 長島 聖大 (2016) 小型昆虫の三角台紙貼り標本の作製手順. ニッチェライフ, No.4, pp.4~10.
- 長島 聖大「ピンセットの研ぎ方」講座テキストPDF公開 - ピンセットサロン
- 【ピンこれ】KFI K-3GG SUS304 みんなが愛する費用対効果抜群のピンセット
- 渡辺 恭平, ハチの標本の作り方.Information station of Parasitoid waps
- 吉丁虫色の日々「昆虫標本ラベルの作成と表記の方法について」
- WebSpecimanager
- 個人収蔵.com
- Unicode キャラクター図鑑
- 東京大学教養学部英語部会/教養教育開発機構,日本語のローマ字表記の推奨形式.
- 国土地理院,地理院地図(電子国土Web).
*1: 長島 聖大 (2016) 小型昆虫の三角台紙貼り標本の作製手順
*2:受け入れてくれるかは別問題です。